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井上ひさし氏の娘が父に「配達されない手紙」を書く理由

悲しみを超えるたった一つの覚悟

 あの時、そんな思いを気づいてもらいたいと思って母に手紙を書いていたのだけれど、母はもちろん知る由もない。手紙とか、今ならメールとかLINEとか、その人が発する言葉に耳を傾けてみたらもっと心の中がわかるのではないかと思う。だから私は娘たちによくラインを送ることにしている。

 娘たちは私によくLINEをくれるけれど、その返事の仕方がいかにもその子らしい時にこうして手紙でなくても伝わることってあるのだなと感じる。それでもこんなに簡単に誰かとつながることがいいことなのか悪いことなのかわからない時もある。少なくとも相手の字は見ることができないし、その字ににじみ出る人柄もわからない。

 それにしても手紙とはなんと素敵なものだろう。ロミオとジュリエットでは、神父様の書いた手紙をロミオが見れなかったためにあの悲劇が生まれたし書簡文学という素敵な趣向が散りばめられた作品もこの世に生まれなかったであろう。

 私は一日に何通も手紙を書く。

 午前中はほとんど机に座ってお礼状を書いて過ごす。字がうまく書けない日もあれば、一気に三〇通の手紙を書いてしまうこともある。

 手紙を送る、そして思いを伝えるということがまだまだ主流だった時代、手紙を書いて返事をもらうまでの時間に人は考えを熟成させてきたに違いない。一方的に送りつけて返事がないと怒るなんてことはきっとなかったと思う。この一度時間を置くという作業がいかに人を想像力豊かな人間にしているかは計り知れない。人生はそんなに簡単にすぐにことは進まない。焦らずに自分の中で考えを熟成させていくことできっと人は人とより深く理解し合えると思うの
は私だけだろうか。

 時間という誰にでも平等で誰にでも容赦がないもののおかげで、人の心も熟成していくのだ。

 配達されない手紙を書く人は、この世にたくさんいることだろう。手紙はいつも一対一の会話のようなものだから、きっとこの手紙を書かなくなる時が来るまでは、父に手紙を送り続けていく。

『女にとって夫とはなんだろうか』より構成〉

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井上 麻矢

いのうえ まや

1967年、東京・柳橋生まれ。株式会社「こまつ座」代表取締役社長。千葉県市川市で育ち、御茶ノ水の文化学院高等部英語科に入学。在学中に渡仏。パリで語学学校と陶器の絵付け学校に通う。帰国後、スポーツニッポン新聞東京本社勤務。次女の出産を機に退職し、様々な職を経験する。2009年7月よりこまつ座支配人、同年11月より代表取締役社長に就任。12 年、第三十七回菊田一夫演劇賞特別賞(こまつ座)、第四十七回紀伊國屋演劇賞団体賞(こまつ座)、イタリアのフランコ・エンリケツ賞(こまつ座)受賞。14年、市川市民芸術文化奨励賞受賞。15年、父の井上ひさしから語られた珠玉の言葉77をまとめた『夜中の電話──父・井上ひさし最後の言葉』(集英社インターナショナル)、自身が企画した松竹映画の小説版『小説 母と暮せば』(山田洋次監督と共著、集英社)を連続刊行。17年、こまつ座が「きらめく星座」の成果により第七十二回文化庁芸術祭演劇部門大賞受賞(こまつ座)。西舘好子の娘。


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